人生を取り戻す
大地と月と豊かさについて
2007年のヴィジョンとプロジェクト

カルロペトリーニ
1  2  3  4  5

7) ネットワーク   スローフードは将来どのようなものになり得るか?

その継続した責務、新しい責務

地域経済とコミュニティは2つのキーワードである。そして市場経済の大規模な歪みを正常に戻すために有効なものである。マーケットは我々の食システムを集中化し、グローバル化し、平均化しただけではなく、地球に対して汚染や温暖化、民族間の不公平というダメージを与えてしまった。食コミュニティは教えてくれた。食コミュニティという方法が可能であるだけではなく、本当の意味で影響を与えることができる、唯一の存在であるということである。この2つのコンセプトに加えて3つめのものがある。この計画を世界的な規模で実行に移してくれる鍵になるもの。それはネットワークである。スローフード、テッラ・マードレと呼ばれている我々のネットワークは、我々が何者であるかによって、誰を呼び込むかによって、誰にリクエストするかまたは誰を助けるかによって、様々な形に変化してゆく。コンヴィヴィウム、プレジディオ、食コミュニティ、レストラン、小生産者、商店経営者、商業者、起業家など、スローフードに関係する、またはその目的に迎合するすべての人々は、このネットワークの一員である。このネットワークは無政府主義であると何度も主張して来た。イデオロギー的な帽子をかぶせるとか、ラベル張りをすることを我々は嫌っているからである。ネットワークは単に我々のテーマについての新しい活力を、新しい「自然な」経済の中を運ぶツールであって欲しいと思う。これこそがネットワークの重要な点である。

このネットワークはそれでも最小限の組織を持たねばならない。メンバーになることを運命づけられている集団の中で、きちんとつなぎ止めておかなくてはならないし、情報や文化や解決策を交換したりコミュニケーションするために必要である。「軽い組織付け」は、11月のメキシコ大会で確認するために、議論を始めなくてはならない案件である。

国際大会はこのネットワークを公に発表する機会である。それは道徳的で強い多国籍団体であり、ネガティブな傾向に対立するものである。コラボレーションを希望する多くの人、行政、アソシエーションはどんどん増えてゆくと確信している。いまこそ外に出て、スローフードが国際レベルで、どんなものに変化したかを見せるチャンスである。このネットワークは我々のテーマを増幅する役割をもち、目的に向かってその実現に力を貸してくれるだろう。我々の平和、健康、革新、伝統、喜び、幸福、すべての人においしく、クリーンで正しい食べ物をというメッセージは、地方文化によって変わる可能性があることもネットワークは理解している。これによって、でしゃばりなやり方ではなく、すでに十分ダメージを及ぼしてしまった唯一思考から繰り出される、精神と地域を植民地化してしまうような論理から脱出して、ネットワークを作ることができるだろう。

ネットワークの構築において、コンヴィヴィウムは最も重要でデリケートな役割を果たすことになると確信している。すべてのコンヴィヴィウムは自分の地方コミュニティを構築し、強固なものにするよう心がけていただきたい。生産者コミュニティと共に、至る所で人々を巻き込む活動をしながら、地方行政に関心を持ってもらえるようにドアをたたきに行き、マーケットを創成して、地域レベルのプロジェクトを起こして、国際協会のコミュニケーションに、世界の関心を引くような情報を提供することで貢献しながら、さらには我々が国際レベルで打ち上げる戦いを自分の地域へもたらしながら、料理人や大学関係者との緊密な関係を保ちながら、コンヴィヴィウムは連帯した地域コミュニティを強固にし、プロモーションするための鍵にならなくてはならない。

我々のコンヴィヴィウムは、実際問題としてまったく違ったものである。その関心は一般的に限定された活動にのみ向けられている。多くのコンヴィヴィウムで、夕食会やコンヴィヴィウムの集会という古風なガストロノミーのみが実行されている現状がある。これはコミュニティ内部の情緒的知性を高めるという意味で重要であるが、会員のみ利用できる閉じられたクラブになってしまう危険性をはらんでいる。私はコンヴィヴィウムは将来的にもっと開かれたものになるべきと確信している。他の地方の現実を取り込んだり、イベントやマーケット、討論会のオーガナイズに助けを求めたり、人々を動員するためのキャンペーン、地域コミュニティが新しい経済のあり方に取り組むというアイディアを実現するために、開かれたものであるべきである。地方経済、自然な経済、地球規模の新しいモデルを作るネットワークにつなぎ止められた、本当の意味でのコミュニティのために、最も必要とされている事項について、コンヴィヴィウムの中で推進するすべての具体的な行動に目を向けようではないか。

- 教育

生涯教育、すべての年代における教育は、我々の主要ミッションの一つである。それは我々の得意科目の一つであり、当初より食アソシエーション分野の中で、際立つ存在にしてくれた。味覚ワークショップから、イタリアのコンヴィヴィウムで実施されるマスター・オブ・フードのコースまで、学校や病院とのコラボレーション、我々の研究してきた教育モデルはこの分野における前衛的なものであり続けた。我々の倫理ネットワークは、メッセージの大きさを理解できる関係者なしには実現し得ない。より良い食システムのために必要な、我々が追求するクオリティについて理解できる人間が必要である。このような知識は、何よりも食が与えてくれる喜びを認識する能力から始まる。これが重要なバネとなって、食の理解へ接近するための鍵であり続ける。食教育、味覚・感覚教育、生産技術や食品カテゴリーに関して理解を深めて行く。独学をしていた英雄的な数年間の後に、この分野での経験を十分積むことができた。それによってコンヴィヴィウムが自分のコミュニティに対して教育イベントをしたいというときに、その経験を生かすことができるようになった。生産者や教員に声をかけて、我々自身も本当の意味での教育者になれるように研究しよう。ネオ・ガストロノミー研究者を育てるためには、自分の食べるものに深い知識をもつところから始まって、自分を取り巻く現実に目を開くことが条件となってくる。

力強くここまで着手してきた道を進んで行くべきである。コミュニティ内の学校にスクールガーデンを作りながら、大人のための夜間コースをオーガナイズしながら、給食の質を上げるために病院や学校を訪問したりすることが人材育成にも役立つように。我々が企画するすべてのイベントに、大きいものでも小さいものでも、生産者や専門家を迎えて、味覚ワークショップをしよう。それが生涯学習につながって行くように。それも「すべてのレベルに対する食育」という戦略を忘れないように。食育は2つの危険性をはらんでいる。1つは食物に対する知識が不足している状況、もう一つは立派なわずかな数の食品に作業が限定されてしまって、日常性を失ってしまうことである。そのようなリスクを避けるために、クオリティの高い食品のすべての魅力へ興味を向けなくてはならない。感覚分析の試食の基礎レベルから、人々が日常的にどのような食品を選択するか、食に対する態度、何をどのように選択するかで規定される、ライフスタイルについてガイドするための方法論を研究しなくてはならない。これが我々が次のに到達しようとしているレベルであり、そこには大学教育が含まれる。それは我々自身が国際食科学大学を持っており、前回のテッラ・マードレから言及している、大学ネットワークもまきこんでいるからでもある。

- 共生産者

おいしく、クリーンで、正しい食品を保証するためには、消費者であるだけではなく、「共生産者」であることを認識する必要がある。教育は確かな足取りでこの考え方に向かって進んで行くだろう。なぜなら消費者の時代は終わったからである。消費者はその名前の通り、世界を消費して行く。市場経済にベースを置く社会の鍵となる存在であり、地球を破壊する共犯者である。知識を得て、食品と生産者についてよく理解し、良く食する技術と汚染を押さえる方法を理解することで、共生産者は地域コミュニティに取り込まれ、具体的に、個人的に、本当の変化への原動力となる。

我々が毎日食物を選択する権限を有しているということは素晴らしいことである。それを良識を持って責任感を持って行使することは義務であり、自分自身のため、家族のため、我々のコミュニティのため、我々の民族のための文明的行為である。ここでもコンヴィヴィウムは、この良心のために、小さいが革新的変化に対して、中心的役割を果たす。そこでは教育活動が用意され、生産者との直接のコンタクトと対話が用意される。専門用語でフィリエラ・コルタ(生産・消費過程の短縮)と呼ばれるもの、先だって説明した意味でようなコミュニティのべースとなるもの、おいしく、クリーンで正しい食を実現することができる地方経済のベースとなるものを実現するために中心的役割を果たす。
具体的活動は多岐に及ぶ。地域にプレジディオが存在するならば、それを活動に取り込む。それは食品保護のためであり、同時に食品のプロモーションでもある。現地に住んでいる人々に、自分が住んでいる地域を表現してくれるものが存在することを教えてくれる。コミュニティの構成員でさえどんな農政産物が地域にあるのかを知らない場合が多い。これこそがプレジディオを作る理由の一つなのである。この生産物は忘れ去られており、コミュニティが無関心であることで、実はその責任者の一人であるということである。

もう一つのコンヴィヴィウムの活動は、「生産者マーケット」と言う名で呼ばれるものである。または食品のクオリティと地域の保護を保証する、地域という考え方を広めるための、流通の新しい形体のことである。イタリアやアフリカのファーマーズ・マーケットや生産者マーケット、Community Supported Agricolture、フランスのAmap、共同購入グループ の経験は、フィリエラ・コルタを実現し、供生産者を自覚するためのわずかな例にすぎない。いくつかのコンヴィヴィウムではこのような活動を実現している。コンヴィイヴムが自分のコミュニティ内で、新しい流通の形体を研究し、実現する努力をすることが必要ではないだろうか。なぜなら構成員を直接知っていることを前提とする、このダイレクトな商業形体が、先だって述べたようにコミュニティと地域経済の基盤となるからである。共生産者は生産者がコミュニティに立脚した本当の地域経済を実現するのに必要な要素である。

- 領域同士の歩み寄り

地域における我々の責任という意味で、もう1つの局面が存在する。これもコンヴィヴィウムの活動に加えられるべきものだが、「異なった知の領域間の歩み寄り」と私が呼んでいるものである。数世代を経ただけで、農民の民衆の知識は消滅するか、脇に追いやられてしまった。この現象は豊かな西洋世界で顕著であり、より貧しい国の農村社会にもどんどん侵攻している。科学の威光のもとに、貴重な知識は打ち捨てられてしまった。それは古くさいものとなってしまい、重要性を失った。そこには文化よりも市場を良く理解する「近代性」が入りこんだ。
私たちの義務はこれらの知識(「スローな知」と定義したい)が、人々から忘却されてしまうのを避けることである。そして科学的発展を否定しないようにしながら、日常生活に戻ってくるようにしたい。そして「公式な」科学と「農民の」科学が実りある対話をすることを、私は望んでいる。テッラ・マードレでの大学の存在は、まさにこの方向性を示したものである。そして各コンヴィヴィウムはそれぞれが貢献をしなくてはならなくなるだろう。

このような知識を保護することは、コミュニティの関心事でもあるだろう。自分のアイデンティティと歴史を補ってくれるし、生産至上主義によって失われたものを取り戻すことにつながるからである。さらには地方行政や大学、アカデミー、学校、大学教授、歴史家、高齢の生産者を、野心的ではあるが、我々がやらなくてはならない重要なプロジェクトに巻き込んで行くのもいいだろう。これはまず不可避的に知の目録化、知のアーカイブ化を必要とする行動戦略である。すべてが消えてしまう前に未来の世代の記憶につなぎとめることが必要となる。インタビューをして音資料やビデオ資料を作って、手仕事や口承や、技術が永久に残されるようにしたい。これはスローフードの一員である、コミュニティの一員である我々の責任である。これらのことは様々な形で実現することができる。2つ例を挙げるとすれば、歴史研究所を作り、地域レベルの資料集めや研究をすること。これはスローフードのスタッフが、自分の町であり地域コミュニティであるブラ市のためにやった仕事のようなものである。またはスローフード・イタリアがやろうとしているように、地方行政を巻き込みながら、ドキュメンタリー会社、イタリアのTV、RAIと共に、消えつつある知識を本当のドキュメンタリーにしようとしている。
いろいろな方法が考えられるが、これはコンヴィヴィウムの創造性に任されている。しかしこの地域的な責任(何度も言うようだが、それは記録したあとに、きちんと存続させるということである。それは「スローな知」の「領域間の歩み寄り」によって可能にするものである)は、地域コミュニティだけに必要な文化行動というだけではなく、緊急事項であるということである。後になっては遅いのである。レヴィ・ストロースが言うように、「我々は緊急民俗学が必要な時代を生きている」のである。
1  2  3  4  5 TOPへ